ぼくのQOL向上戦争

ぼくはぼくのために生きる。

転職活動をしてみて① #10

キュウです! 

 

ようやく来た土日に睡眠しまくって肌の調子がびっくりするほど改善した。先週も土日に仕事をしていて、なかなか社畜感出てきたなあと思っていたところで、いつの間にか睡眠も十分には取れなくなっていたようだ。

 

今さらながら睡眠の凄さを実感している次第であるw

 

とは言え、今週土日も実は一つだけ僕のキャリアにとって前進がありそうなのだ。2,3月が父の忙しい時期なのだが、1月末からどうしても忙しいということで、お手伝いしてくれないか?という要請があったのである。

 

土日と言えば酒を飲みに行くかスポーツするか寝てるか本読んでるか(あるいは仕事してるか)なので、特に重要な用事もない僕は二つ返事で引き受けた。さっぱり知らない話なので僕が出来ることなんぞ限られているわけだが、それでも父としては「手が足りない」状態だったので僕の手も借りたい様子で、けっこう感謝されたw

 

今もお手伝い中なのだがちょっと休憩、ということで休んでいる間にこうしてブログを書いている次第だ。

 

まあ、父のお手伝いをするというのは裏技というか、「副業」とは呼べないかもしれない。どこかの本だかブログだかで読んだが、金儲けには3種類ある。①本業、②副業、③投資だ。このうち②の部分を伸ばそう(というか種をまいて1円でも回収しよう)というのも今年の目標の一つであるわけだが、あんまりこれで達成しても、なんだろう、100%達成したような気がしない、というのが正直なところだ。贅沢言うなという感じだがw ということで引き続き良いクチを探し続けてみようと思う。 

 

 

さてーーーーー。

 

今回は上に述べた①本業、の方でブログを書いてみようと思う。本格的にではないが転職活動をしてみたのでちょっと自分の中で残しておこうと思ったのだ。

 

まずは転職活動をしてみようと思うに至った経緯を書いてみようと思う。若手の意識高い勢で話しているとよく出てくる話(あるいはTwitterしていてよく出てくる話)が、「定期的にエージェントに会って自分の市場価値を把握しておこう」というものだ。まあ、始めた経緯としてはこれに近い。1社の中で評価されていても客観的に(外から見て)自分の価値が高いものなのかどうかは実際にはわからない。仕事ができると言われていても社内でハンコを押す時、なんだかうまいこと説明してのける「スタンプラリー係」になっているだけかもしれないし、逆にあいつは余計なことをする、と言われて嫌われても他の職場だと大いに評価されたりする例があるかもしれない(まあ実際にはそんなことはまれだが)。

 

自分がどれだけ狭い世界で住んでいるのか、知ってみたいと思うのと同時に、「もはや一つの会社で勤め上げる時代じゃない」という聞き飽きたような言葉を「そうだよね」という言葉で済ませたくなかった。自分の肌で転職市場というものを感じて、実際にエージェントに会ったり、他社の面接でボコボコに論破されたりして、刺激を受けようと思ったわけだ。んで、実際に良いところがあれば転職する、とw

 

LINE上級執行役員の田端さんのNoteで言っていたことと同じだ。練習と思って受ければ良い。合格したって断れば何の問題もない。大丈夫、そんな簡単に合格しないからw

 

あと、もう一つ。やっぱり一つ前の記事で言っていたことかなあと。人生をもう少し長期の目線で捉えるようになった、というのがきっかけかもしれない。

kyuu0119r.hatenablog.com

(以下引用)

僕はいま、仕事という点で、自分が進むべき道というものがクリアになっていない。何個か選択肢はあるし、どれを選んでも、まあ悪くないかな?と思えるものでもある(し、どれを選んでも最善ではないような気もしている)。その中でもある程度「固まってきた」部分はある。自分がどの業界で生きていくのか、とかは一つ目に選んだ仕事である程度決まってしまうものなのかもしれない、と思っていて、今の給料からすれば必然的に飲食店でバイトはできないし、働き方や内容が違いすぎてアパレル業界に転職することも考えられない。僕の志向からして、芸能界やメディアに携わる仕事に就くとも思えない。そうした「方向性」の話だけするのであればどうにか議論はできるかもしれないし、いま真剣に考えているところであるが、まあふわふわした状態でブログにつらつらと言うべき内容でもないような気がしているわけだ。

(引用終わり)

 

将来をどうしよう?僕の人生どうやって生きていこう?と考え始めたところで、その軸となる仕事に目を向けている次第だ。

※ちなみに、僕のアカウント見てもらえば分かるが、実際には1年記念日って1月19日なので上の記事ではまだ2週間前である。どうでもいいけどツッコミをとある方から頂いたのでw 想いが溢れて書いてしまったんや!許せ!

 

さてさてようやく本題に入ろう。エージェントに複数会ってみた感想と、面接を複数受けてみた感想を述べようと思う。

 

まず話は2017年の11月末に遡る。この頃海外出張に出ていた僕は、転職サイトに登録してみた。上記の理由もあったが、単に自分の会社がどのような外部評価(及び内部評価)を受けているのか知りたかった、というのが本音。まあいずれにせよ始めたという事実が重要なのであって、動機は一先ず脇に置いておくw

twitter.com

 

ここで発生したのが何かというと、口コミを全部見るためには何らかの転職サイトに登録して下さい、という例のアレである。騙された!タダで口コミが見れると思っていたのに!そうぶつくさ言いながら、僕はハイクラス転職を謳う転職サイトに登録した。

 

まずもって感じたことは、僕って書けるものが少ないなあ、ということ。資格を書く欄や現在の仕事を簡単に紹介する欄、実際に上げた成果を列挙し説明する欄、などがあったが、どれも僕がその場でためらいもなく書くようなことはできないものばかり。一つだけ書けたのは学生時代に取らされた簿記3級だけ。どうにもペラペラの経歴を挙げるばかりであるような気がして、僕は最初からくじけそうになったw

 

書けるものが少ないというのは、具体的に言うと2点の問題があった。1つは単純に手持ちが少ないということ。資格も必要なく会社において何かしらの専門性を養える訳でもない、すなわち履歴書の中のスペースを埋めるのに材料が足りないということである。2つ目はもっと重要なことで、今やっている仕事を端的に表現し、何も知らない相手に伝えるということを僕はやったことが無かった。つまり、何かしらをやって、時間も費やし、たまに土日まで潰すような働き方をしておきながら、「自分が何をやっているのか」について他人に説明できなかったのだ。これには愕然とした。

 

人はこうやって何かを求められないとそんなことも自発的に考えられないのか、と思った。逆に言うと、この転職サイトへの登録をもってして僕は現在している仕事についても考えを深め始めることとなる。試行錯誤の末に出来上がった「仕事の概要」は改めて見てみると、「なんかすごいことやっとるwww」と思えるものであったw 楽しさややりがいも明確にすることができたと思う。その一方で光が強くなれば影が濃くなるように、良い点をハッキリと認識できたからこそ、不満に思っている点やどうしても今の職場では補えない点というのも分かったような気がした。転職活動様様であるw

 

なかなか本題に入れていないが、ここからようやくエージェントと会う話になる。

 

サイトに登録してある程度の個人情報を打ち込むと、登録したメールアドレスにバンバン連絡が来るようになった。いきなり10件とか来て全部無視してやろうかと思ったぐらいだが、まあ一先ず興味のある業界(+それなりに年収が確保できる業界)を紹介してくれるエージェントとのアポを確定させていった。五月雨式に連絡が来て全部相手にしているわけにはいかないので、どう考えても僕のことを考えていないな、というメール(誰にも当てはまるような歯の浮いた言葉を並べたメールや紹介したい業界すら明かさず取り敢えずお会いしたい、等)は無視、あるいは一言断りのメールを入れた後、早く連絡をくれた順に会っていった。

 

まあ、会う人会う人なかなかにキャラが濃い。いろいろ紹介してきたんだな、という印象を受ける人からなんでこいつこの仕事やってんの?という人まで様々だ。(僕の個人情報や身の上を聞くだけ聞いて「検討します」で電話を切ったやつもいた。そういう人間とは二度と会わないし、メールも無視することにした。)

 

紹介を受ける業界はといえばなぜか圧倒的にコンサル業界が多い。まあそこそこ年収も高いし、一部の会社はダメならすぐ首を切れるので募集をかけやすい、という事情があるのかもしれない。僕も僕で年収を下げようと思って転職をしているわけではないので、ある程度の金額を提示してくれない場合は強気に切っていったし、それが原因なのかもしれない。

 

んで、早速僕は2社受けてみることにした。1つは(転職サイトへの登録とは関係なくて恐縮だが)友人から紹介を受けた会社。出張に行く前、とある会社に転職した友達に話を聞こうとしたときに「ちょうど選考やってるから受けてみれば?書類も免除できるで」と言われたのだ。ちょうどその会社と人、働き方やスピード感に興味があったので応募してみた。もう1つは電話口の声がかわいい若い女の子のエージェントに「面接受けてみませんか?」と言われてついYESと答えてしまった案件だw アホみたいな理由だがちょうど面接を手っ取り早く受けたいと思っていたし、後日会ったら本当にかわいかったのでまあ良しとするw

 

ということで受けた面接。

 

…とここで、迷ったがこれは後日書くことにする。(長すぎたのでwすみませんw)

 

この時点で言えることは、2つ。

①転職サイトに登録することは自分の中の意識を変えてくれる

②エージェントにも様々な人間がいるのでたくさん会ってみるべし

Twitter始めて1年経った #9

キュウです!明けましておめでとうございます。

 

今日は新年初出社でした。まだお休みの人が多いようで電車はかなり空いていました。でも会社に行くと世界は動いていて、メールは来ているし上司はプリプリしている。ああまた日々が始まったのだなあと思うと同時に、今年こそ仕事で飛躍を遂げる年にしようと思いました。

 

あと、2つ目標を立てた。

 

一つ目は腹筋を割ること。

 

二つ目は仕事の外で1円でも良いから稼ぐこと。

 

腹筋を割る方法や稼ぐ方法など具体的なことは何一つ分かりませんが、まずは言葉に出して、具体的に考えて、アンテナ張ってやっていきたいと思います(まあ、前者は自分の努力次第かw)。宣言して自分にプレッシャーをかけていけば(+きちんと行動していけば)道は開けると勝手に思ってます。カクテルパーティー効果、という現象があります。簡単に言うと「意識している相手の話していることはうるさい中でも聞きとることができる」という現象です。自分が常に意識している情報は自然と集まってきます。なぜなら人間は「選択的傾聴」をしているからです。自分が興味のある分野の人をTwitterでフォローしているのならばなおさら、情報を取捨選択して集めることができます。僕は上に述べた2点についてきっちり情報収集して、意識して、行動することをここに誓います。

カクテルパーティー効果 - Wikipedia

 

まあ、目標なんて20個ぐらいあるんですが、そのうち「宣言すると決めた」ものに関してTwitterで言っているわけで、TOEICで900取るとか、仕事で成果出すとか、貯蓄を〇百万円するとか、他にもいろいろあります。あんま宣言しまくって達成できなくても悲しくなっちゃうのでw

 

 

さてーーーーー。

 

Twitterを始めてそろそろ1年が経つ。始めたのは忘れもしない1月19日。生まれて初めて一人旅というものをした日だ。僕は格安航空券を手に握りしめて「有給」という言葉の響きに慄きながら飛行機に乗り込んだ。まるで悪いイタズラを考えた子供のような心地がしていた僕は何だか新しいことにチャレンジしたくなった。なんとなく、Twitterのアカウントを新規で作った。アカウント名とユーザー名はどうしよう。何でもいい。あたりを見渡してなんとなく「キュウ」に決めた。何の漢字を見てこれにしようと思ったのか、今でも思い出せない。ただ、シンプルな名前にしようとだけ考えていた。ユーザー名は"Kyuu"に始めた日付の0119。新しいことをするんだ、自分を変えるんだ、という思いで最後に "r" の文字を付けた。

 

果たして僕は新しい名前と人格を胸に、田舎へと飛び立った。それも、ものっすごい田舎へ。

 

何でもないキュウという名前で呟くツイートがひたすらに新鮮だった。何を呟こうが他人の目を気にすることはない、コンプライアンスや常識に怯えることもない(別に普段から悪いことやってるわけじゃないけれど)。有給を取ってやっていることと言えばだらだらと田舎を歩き回ったり美味いものを食べたりネットカフェに入ってキングダムを読破したりしているだけだったが、何だか「自分だけの時間」を取り戻せた気がして、有意義な時間を過ごせたような心境だった。

 

あれから、1年だ。「キュウ」は見事に僕の人格が乗り移ったアカウントになった。「意識の高い」ことを周囲に発信していくことが苦手な僕にとって、興味のあること・やってみたいこと・目標や人生観について語れる場はここだけになった。つまり、本アカウントよりも「キュウ」という場を通じて僕は理想を公に表現できるようになったのだ。

 

これは面白い現象だな、と最近思う。仮想空間にぶん投げて形成された仮想の自分を通じて本当の僕が形成される。それは本アカウントよりも本音を呟き、自分の人生について深く考えるきっかけを与えてくれるものだ。僕が見るTwitterの世界ではみんな、高い理想を持っている。みんな恥ずかしがりでシャイだから、「本アカウント」ではなかなかそのようなことは言わない。これ、けっこうすごいことだと思うんだな。

 

まあ、話を戻すと、基本的にキュウのアカウントは仕事について呟くことが多いと思うので、まずはこの1年間で得た仕事観について話したいと思う。

 

①上司は顧客だ

長くなるのでサボるけど下の記事で述べたことに深く関係してくる。簡単に言うと;

・他人の評価で自分の価値が決まる。自分自身への評価なぞ無価値。

・人から信頼を得られなければ仕事が得られないのは社内も社外も同じ。

・大企業のような組織では他部署=他人、すなわち社内の人も顧客。

・言われたことだけでなく自分がいることで価値があるような存在を目指す。

kyuu0119r.hatenablog.com

 

②若手の仕事はスピードと丁寧さが命である。

これは初めて言うと思う。まあ、僕のしている仕事での話なので証券の外回りやビール営業のように事務作業を(たぶん)あまりしない業務内容には当てはまらないかもしれない。僕の仕事は基本的にデスクワークだ。投資のリターンを計算したり英語のメールを書いたり、パワポで資料を作ったり。こういう類の業務が仕事となる場合、若手の(特に入社数年目までの若手の)仕事で求められるのは

・きっちりやること

・納期内にやること

だけである。

 

言葉にしてみれば超簡単である。ただし複数の業務があって、知らないことがたくさんあって、時間がどう考えても足りない場合、キャパが、能力がどうしても足りない場合は…。けっこう辛いことになる。「人間が明るい」とか「面白い奴だ」とかの要素は全く要らない。ただひたすら「やるか、やらないか(できるか、できないか)」だけで評価がされていく。これが続くと本当に辛くなってきて、どこかでプッツンと糸が切れてしまう人もいるようだ。

 

まあ、結論は上で言った通りだ。やるか、やらんか。簡単である。

 

上の2点を踏まえても簡単。期限内にやるのか、間に合わないのか。丁寧に仕事をこなすのか、適当にやるのか。ここのバランスを最大限取りながら仕事を進めていくことになる。必要に応じて人の力を借りる、上司に早めに相談する、出来ない仕事に対して安易に「ハイ」と言わない、分からないことがあれば必ず前もって聞く、他人にお願いする時は丁寧に、かつ丸投げなやり方をしない、必ず優先順位を付けて仕事に取り掛かる。などなど。全ては上記2点を達成するために意識すべき点である。だって必要な時まで間に合って、クオリティが担保されていれば良いんだもの。となるとこれらは上記をきっちり成し遂げるのに必要な「仕事の仕方」であり、それ以上でもそれ以下でもない。

※入社して数年の若手までの話をしています。

 

 

以上が1年間の内に僕が得た仕事観である。

 

レベル低くてすいません。どこかで纏めたかった。

 

ちなみに僕がTwitterを始めた頃は仕事観なんぞゼロであった。毎朝家を出るのが苦痛、言われたことだけやり、文句を言われてもしょげて帰ればすぐに忘れてまた明日。オジサンに怒られ、オバサンに怒られ、毎日をやり過ごすのに必死。成し遂げたいことも無いし、別に仕事が楽しくもない。このまま給料をもらってやり過ごすのが僕の人生なのかなあ、とか思っていた。

 

びっくりするほどこの価値観が変わったのがTwitterの凄さで、僕はすっかり「意識の高い」人々に影響されてしまった。自分の人生の目的は何なのか、何を成し遂げたいのか、短期的には何を成し遂げたい?何を目標にすれば良い?どうすれば「カッコよく」生きれる?じゃあ、毎日はどのように生きるべき?と。

 

最終的に昔は僕も情熱を持っていたことを思い出した。毎日熱中していることがあり、あこがれている人がいて、自分の好きなことで一生懸命走り回っていたあの時代。意識の低い奴にイライラしなかったか?レベルの低いものを指して信じられない、と言い放っていなかったか?あこがれる人を前にして情熱を燃やしていなかったか?あれを思い出せ。学生時代を思い出せ、近藤!である。

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さてさて。

 

1年経ったいま、僕が現状見ている将来像を書いて終わっておこうかなと思う。

 

僕はいま、仕事という点で、自分が進むべき道というものがクリアになっていない。何個か選択肢はあるし、どれを選んでも、まあ悪くないかな?と思えるものでもある(し、どれを選んでも最善ではないような気もしている)。その中でもある程度「固まってきた」部分はある。自分がどの業界で生きていくのか、とかは一つ目に選んだ仕事である程度決まってしまうものなのかもしれない、と思っていて、今の給料からすれば必然的に飲食店でバイトはできないし、働き方や内容が違いすぎてアパレル業界に転職することも考えられない。僕の志向からして、芸能界やメディアに携わる仕事に就くとも思えない。そうした「方向性」の話だけするのであればどうにか議論はできるかもしれないし、いま真剣に考えているところであるが、まあふわふわした状態でブログにつらつらと言うべき内容でもないような気がしているわけだ。

 

これが僕が言った「クリアでない」ということの程度だ。結論も無くオチも無い笑

すいません。(書いて分かる、文章をアウトプットすることの難しさ。 自分の中ではさも高尚なことを考えているようでいて、文章にするとこんなに幼いのだ。これは由々しき事態である。。)

 

ただ、一つだけ言えるのは1年前と比べて僕は思考の量がだいぶ増えた、ということだ。Twitterを始める前はこんなこと考えもしなかったし、自分の人生を主体的に考えたことも(たぶん)無かった。短期的な目標に燃えたりしたことはたくさんあったのだけれど、それを敷衍して「人生って」とか「仕事とは」とか難しいことを考え始めたことはさっぱり無いのだ。信じられないことに何とかなるっしょ思考で全てのことをやり過ごしてしまっていたわけだ。

 

まあほとんどのことはそうだが最初は簡単に実力は伸びる。S字カーブの形で成長曲線は描かれ、ある一定のところまでは加速度的に伸びた後で停滞期が来る。今はこんなにしょうもないレベルの話であっても今後は短期的に相当高いレベルまで自分を引き上げようと思っている。

 

こっからだぜ、俺。

 

これが、僕がいま総括できる最大限だ。1年間、お疲れ様でした。成長したな、僕。レベルが低いけど自分を褒めてあげよう、と思う。レベルが低いことは将来改善できるのだから。今年も頑張ります。きっちり成果あげて2018年を締めくくることをここに誓います。

 

なんだか口だけ男みたいになっちゃってるけど。今年は「行動する」方で頑張ります。

 

今年も皆様、よろしくお願い致します。

思考の渦 #8

キュウです!

 

クリスマスですね。街を歩いていると都心と郊外における「人の見た目のレベル」の違いに驚く。銀座を歩いている人たちと新宿を歩いている人たち、川崎を歩いている人たちの見た目のレベルが全然違うのだ。もちろん人種の層も違うが、顔やファッションのレベルが違う。なぜこんなにも「人」が違うのかという点に興味をそそられる。

 

田舎に行けばそこで、さらに田舎の中でもショッピングモールと観光地と住宅街と、、、それぞれの場所で人の「色」が違ってくることに最近、気づきつつある。僕は東京住まいなので、東京だと、23区と23区外のように圧倒的に違った地域が広がっており、そりゃ、行く場所行く場所で人が大きく違うよなあ、というのは感覚的に分かっているところなのだが、どうやら田舎(とりあえず、日本の地方都市、としておこうか)でも同様の現象が存在するようなのだ。

 

やはり人口の偏りが生じる現象というのは日本全体(地方→東京や大阪など)でも起こるし、一地方地域の中でもさらに起こるものなんだなあという印象だ。まあ、しょうもない話だが、自分の中での気づき、ということで。

 

 

さてーーーーー。

 

ふと、何かを強く思い出す時がある。急に頭の奥に誰かの笑顔が浮かんできて離れなくなることや、中学校の先生の歌声が耳について何かに集中できなくなること、過去のスポーツでの失敗を思い出してふとあの時ああしていれば…という妄想で黙り込んでしまうこと、ロマンチックで燃え上がるような一夜の記憶で仕事中にムラムラしてしまうことまで。レベル感は様々だが、どうしても僕の頭から何かのイメージが離れなくなることが定期的にある。

 

それは上で述べたように本当にどうしようもないただの「邪魔なイメージ」として浮かぶものもあれば、僕の中で大事に大事に育てていた素晴らしい思い出であることもある。急に頭に強く浮かんでは消えるものなので自分でも制御できないものだ。

 

なぜ、このようなイメージが急に僕の思考や仕事や作業を邪魔するのかは分からない。世の中の物事は必ず原因と結果という事象に分解できる、という因果律に立って考えるならば、僕の脳裏をよぎるこの邪魔なフラッシュバックの裏には必ず起こる原因があり、何らかの理由を持ってこの事象は起こさせられている、と考えることができよう。

 

つまり、この「過去イメージのフラッシュバック」は「自分にとって必要だから(自分の脳が)起こしている事象である」(原因=何らかのフラッシュバックの必要性を伴った思考→フラッシュバック)、あるいは「自分の脳内で当該事象を起こすことによって何かの"結果"を起こしたいのだ」(変なこと思い出して感傷にひたる、トカ)ぐらいに勝手な解釈をすることができる。

 

果たして意味が分からない日本語になってしまったが、要はなんで、こんなフラッシュバックが急に起こるのかはさっぱり分からないということだ。ただ何となく起こされるというよりは理由があって、何らかのきっかけを伴って発動される事象である、と解釈する方が圧倒的に気分が良い、という点にポイントがある。

 

すなわち、良く分からない事象に対して良く分からないもの、と漠然と考えて頭の片隅に置いておくよりは、人間は無理やりにでも分析した風なことを言って解釈を付け加え、ラベルを付けて、分類をして頭の中で整理しておく方が好きなのかもしれない。これは僕の悪い癖で、「それっぽいこと」を言って言語化して(分類して)物事を色分けしておくのが好きなのだ。その方が自分が分かった気になるからだ。要領を得ない説明だとしても、分からないことに対して、世界に対して幾分か賢くなったような気にさせられる、そんな自己正当化が好きなのかもしれない。

 

ただし、これは大抵の人間がそれを好きであるということを僕は主張したい。会社で上司に予算を説明するとしよう。来年度の売上はこうこうこの程度立つ見込みです、と報告するとする。その際に報告の中身にはその売上の内訳が書いてある。Aさん〇百万円、Bさん◇百万円、Cさん△百万円、合計で☆千万円の見込みです、と報告するわけである。この中で上司はAさんが本当に〇百万円を上げられるのか?あるいはもっと上がらんのか?ということを具体的にヒアリングしてゆくことになるが、まずAさんが聞かれるのは何の案件でいくらずつだ?という点だ。〇百万円の内訳はαという案件で■百万円、これが目玉で、β案件で◎十万円です、あとはコマイγ案件やらいろいろ合わせて合計が〇百万円になります!というのがこれの答えになる。

 

当たり前だが上司は予算の全てを頭に入れていることはほぼ無い。代わりにざっくりとした帳簿が頭の中にあり、それの収支が合う以上細かいことは気にしない、というタイプが多い(少なくとも僕の経験上)。そんな中でどのように上司に対し説明をつけるのが手っ取り早いのか。僕は、上で述べたように「内訳に色を付けていく」のがポイントだと感じている。全体予算をざっくりと数個の部分に色分けをし、メイン・サブメイン・サブぐらいに区分けを決めてゆく。とても簡単なことだが、色付けを赤・オレンジ・黄色ぐらいに分かりやすく付けていってしまうことが後の作業を楽にする。

 

まあ、話がそれたので元に戻すと、要は人は安心したい生き物である、ということを念頭に置くと、上記の予算付けの話でも、フラッシュバックを僕が勝手にそれっぽく定義づけてしまう話も通じてくる部分があって、やっぱり、人は良く分からないものをそのまま置いておくということが本質的に怖いのである。部署での予算策定など現状僕一人に数字づくりが任されているが、上司に説明するときはひたすらこの「区分け+色付け」を意識する。アレとコレとソレの案件が今の部署の柱で、ざっくりとアレがいくら、コレがいくら、ソレがおくら儲かります、具体的に言うとアレは確度の高いもの(確度A)が約3分の2で…という具合だ。これをすることによって上司の頭の中でかなりざっくりとした帳簿が出来上がり、調整弁をどこに置くか、そもそも来年度は上向きなのか下向きなのか、といった点が像を帯びてくる。説明をするにつれて上司が安心していくのが分かるわけだ。

 

これを支えるのが上で言った「区分け+色付け」というわけだ。当たり前のようなことだが、意識してやってみるとけっこう面白く、何かしらの不安要素を抱えている際にはこの作業をみんなで行っていることが多いことに気づく。問題の分解と切り出し、ポイントを定めてそこにリソースを集中する等。要は全部同じだ。

 

さてさてフラッシュバックという視点で、さらに話を戻そう。

 

今日僕は急に学生時代によく通ったラーメン屋を思い出した。確か大学2年生の時ぐらいにできた、煮干しの背油ギトギトラーメンを出す店だった。そこが本当に美味しくて美味しくて、僕は当時もう何度も通ったものだった。

 

大学の友達などと飲みまくってへろへろになりながら食ったラーメン。酔っていて器の中身にしか記憶は無いが、店主には優しくしてもらったものだった。酔ったまま後輩数人を連れて行って、閉店後に店を開けてもらったこともあった。あの時代の数千円おごり、という財布の痛みには後々頭を悩ませたものだったなあ。それでも、何度も通ったものだった。油そばも、特製ラーメンも、季節限定の味噌ラーメン風も、何を食べても美味しかったなあ、ということまで。

 

 ふと、急に、当時を思い出したことに理由は無理やり付けたくないな、と思う。僕の中での美しい思い出は誰にも変えられない。決定的な過ちを犯してしまった夜、ラーメンを食った後につけ麺を注文して全部食べ切って全部吐き出した夜、友達と徹底的に議論して喧嘩別れした夜…、思い出すのは大抵良い話とは言えないものばかりだが、全部僕の中で美しい心象風景に変換済みだ。これを変に理論づけして「色」を付けたくない。

 

過去の思い出や見た風景は僕の中で少しずつ色褪せながらも、ずっと残ってゆく。今になって思い出して、ああ、あの時あいつはこう言いたかったのかとか、自分の心情はこうだったのかもしれないとか、当時に解釈が加わることはあれど、これを思い出す行為自体にむやみに手を付けたくないのだ。

 

同時に、これからも美しい記憶を積み重ね、後になってこうして懐かしく感傷にひたれるような思い出を残してゆきたいものだと思っている。

 

 

出張に行ってきて感じたこと #7

キュウです!

 

最近Perfumeののっちにハマっている。ただただひたすら綺麗で見惚れる。ずっと動画を見てしまい気づいたら1時間経っていたこともあった。僕は後悔していない…。美しいものを見て心を癒しているだけなのだ…。日々の戦いを癒してくれる女神だ。ほんと好きだ。これは恋だ。笑

 

matome.naver.jp

matome.naver.jp

 

僕的に好きなところは、美しい顔と圧倒的ショートカットは言うまでもないので省くが、彼女の腰周りと足だ。なんたってもうすんごいエロいのに美しいのだ。なんでか分からないけど他の2人に比べてエロさがダントツなのだ。。これはもう骨格レベルの話なのでどうしようもないが、もうほんとに最高だ。語彙が無さ過ぎてダメなのでこの話はやめることにする笑

 

けど、知らない人は何でもいいから動画を見てほしい。

 

 

さてーーーーー。

 

タイトルの通り出張に行って来たので感想を述べたいと思う。これまで何度か海外出張に行ったことはあったがお遣いレベルの出張だったので(もちろんそのようなレベルにも関わらず数十万円の経費を使って出張に出してくれた上司には心から感謝している)、今回が初めての「営業担当としての」出張だった。ちなみに期間は半月ほどだ。

 

まず準備段階で言うと、今回は準備に力を入れた。担当として行く出張で価値を発揮できなければ僕の現地での居場所は無いと思ったからだ。出張に行く3日前から僕は業務時間の1/3を使って、準備できていないことは無いか、今やっておくことは無いかなどの確認作業に費やした。同時に日本にいない間に発生するであろう業務・作業をなるべく減らすよう、1週間前から後輩に引き継いだり、自分の中でタスクマネージをしたりした。

 

次にお土産を大量に買い込み、バッグに詰めた。駐在員や現地でお世話になるローカルスタッフの方々には感謝の念を込めてフリーズドライのお味噌汁を配りまくった。同時に配る名刺も足りなくなってはいけないと、名刺入れにありったけの枚数を押し込めて、同じだけの枚数を手帳に挟んだ。(結果、どう考えてもこれだけたくさんの名刺は要らないという結論に至った。笑)

 

あとはただただ、先輩と打ち合わせをした。僕にとっては分からないことだらけのこの出張で何を最低限のミッションとして設定すべきか、自分にできることとできないことは何か、何をやって良くて、何をやってはだめか。これらを踏まえた上で、自分なりの目標をどこに置くか、何をクリアしていけばそれを達成できるか、ということを考えた。

 

※実際に出張に行ったら(行かなくてもだが)先輩の言いなりになるケースが多い。というかほとんどだ。まあある意味仕方ないのだが、これを超えて行かないとどうしても成長は遅くなると感じる。特に僕に至っては極端で、自分が考えてする行動には主体性を持てるのだが逆もまた然りで、人に従っている限り本当に人としてダメなレベルでサボってしまうのだ。これが弱点だと分かりきっているものの、なかなか直しようがない。だって自分が主じゃないから。本当にクズである。というわけで自分なりの目標と超えるべきハードルを独自に設定することにした。

 

ちなみに上記のプロセスは、慣れた出張者にとってはごく普通のことで(というかたぶん全く何もかも足りていないレベル)、何を気合い入れたかのようなこと言ってるんだ、と思われるかもしれない。が、僕は本当に忘れっぽいし今の気持ちをすぐに失ってしまいがちだ。というわけで備忘として書いておきたい。

 

気合いを入れすぎた結果として、最終日あたりで僕は体調を崩した。客先との打ち合わせを休むようなことはしなかったが夜は寝汗が激しく悪寒と発熱に苦しみ、昼は打ち合わせ中にあまりに寒くて全くしゃべれなくなってしまった。もちろん客の前で体調が悪いそぶりは見せないようにしたが、どう考えてもおかしいレベルで黙りこくる僕を見てお客さんが心配をしだした。自身の管理不足による体調不良で顧客に心配をかけるなど営業マン失格である。これ、きっちり反省して次回に生かしたいと思う。

 

で、出張に行って感じたこと。

 

①英語がまだまだ出来ない

これは深刻なレベルだった。どうやってもうまい表現が見つからない場合に口ごもってしまい、代わりの表現が出てこずに打ち合わせの場が止まってしまうことが何度かあった。Aと言いたい時にワードが出てこずA'と言うことでこのような事態を回避するというのは誰しも行っていることだが、(え~っと、あれあれ、あれだよ…。Aって英語で何て言うんだ…?)と頭の中で浮かんでいるのに出てこないことが本当にもどかしかった。A'で言い換えられないどころかBですらないC!みたいなこと言って自分でも何言ってんだ???となることすらあった。。。これはマジであかんな、と痛切に反省、スピーキング能力をきっちりと伸ばしていかねばならないと実感した次第。

 

②必要な言葉がすらすらと出てこない

これは仕事をした当初から感じていることだ。上司にあれどうなってる?と聞かれてパッと出てくるか、否か。客先と話していて〇〇の話はどうなったんだっけ?という話題に切り替わった際、ああ、アレはこうこう、ソレはどうどうでっせ、とその場で上手く説明する能力というか、頭の中が整理されているかどうか、というか。要は、頭の中の引き出しをうまく開け閉めする、ということ。この能力がまだまだ足りない。これが出来ないと客は「この若造は何しに来たんだ」という白けた顔になること請け合いなので、次回はレベルアップして(というかこのレベルの話は当然クリアして)打ち合わせに出られるようにしたいと思っている。※幸いこの②は段々と改善されているような傾向を感じており、どうにかなるとは考えている。

 

③予想外の事態に対応する想定が出来ていない

客と話していると、ああ、あれ、変わったからヨロシク、という話がポンポン出てくる。みんな日本人のように、「すみませんがAという状況がA'ということになりそうでして、恐縮ながら事前にお知らせ致します」とかいうことは言ってくれない。「AだけどEになったから。明日出荷ね」とか涼しい顔で言い出すのである。本当にやめてくれ…と泣きそうになるのだが、これをどうにか乗り越えられるようにならなければならない。僕の尊敬する先輩は、きっちりヒアリングして状況をクリアに把握した上で、「それなら必要な対処は〇〇になります。あ、もしEがGになりそうならコレとコレも必要だからね、よろしくね。僕らがいま対処できることはコレとコレ、ソレとドレは持ち帰るけど明日まで確認できると思うわ。よろしくね」と瞬時に対処策が出てくるのでお客としても結局この人は頼りになる、ということでピンチを信頼に変えて帰ってくるのである。ほんとかっこいい。これに必要なのは全ての事象が頭に入っていて、(②とも重なるが)自由に引き出しを開け閉めしてお客に見せることができる、という状態だ。ある程度これを可能にするのは事前の徹底した準備だと思うのでこれは努力でカバーできる問題でもある。

 

というわけで出張の備忘記録でした。

 

ワイはまだまだ伸びるところがたくさんある。

仕事ができる・できないとは何なのか③ #6

キュウです!

 

先日(と言っても3週間ほど前になるが)会社の同期の結婚式があった。ほんと、この時期はみんな結婚する。季節的に人気なのだそうだ。調べてみると結婚式の件数が増えるのは5,6月と10,11月だそうで、理由は簡単、「暑くないし寒くないから」である。5月は連休があるから参加してもらいやすい&予定がたてやすいし、6月は「June Bride」という言葉もある通り皆が式を挙げたい季節。10月と11月は季節的にも良く、天気も良くて「晴れ舞台」に適しているのかもしれない。ちなみにその日は相当良い天気だった。最高のコンディションで結婚式ができた同期を心から祝福したい。

 

そういえばけっこう面白いことがあった。

 

僕の会社は伝統的にはっちゃけた芸が好きで、結婚式場からクレームが来ることが過去にはあったそうなのだけど、今回は結婚式場に許されるギリギリのラインを攻めてほしいと新郎からリクエストがあった。僕たちは迷った末にどうにかごまかせるレベルの芸を選択、これ以上は2次会でやるからお許しを、という言い訳のもとに「そこそこ攻めた」余興を実施した。もちろん会場の人が不快にならない、かつ式場のスタッフの方々にも迷惑をかけない、そんなレベルだ。

 

こう言うと全然攻めてないやん、と言われそうなのだが僕たちは内心、ドキドキであった。当然だが自社の上司がたくさんいる。お歳を召したご老人もいらっしゃる。新郎の大学の同期や新婦のご友人まで、知らない人もたくさんいる。そして何より新婦はかなりのおとなしめであった。ドン引きされるのは全く気にもしないが泣かれたり通報されたりしたらどうしよう…。まあ結果から言うと大成功で大盛り上がりだったのだが、僕たちは余興をした経験がほとんど無かったのだ。なんせ社会人になって数年の若造たちである。緊張して気分が悪くなる奴がいるのも理解できる状況であった。

 

芸の詳細は割愛するが、かくして会場は盛況となり、来場者全体を温めることができた。何が面白かったかって、下記のツイートを見てほしい。

 

 

まあ、新郎が嬉し泣きしてくれたことで全てシャンシャン、である。けっこう頑張って良かったと思っている。

 

 

さてーーーーー。

 

「仕事ができる・できない」について①②でしょうもない自論を展開してみた。後で見直してみたら何でもないことをそれっぽく言って「俺頭いい」とか思ってそうな感じで非常に恥ずかしい。。が、これが自分のアウトプット力と、思考の深さの限界の現状である、ということは自分で認識をすることとなった。まずはそれが重要なのだ、と言い聞かせながら引き続き頑張る。継続こそが重要なのだから。

 

今回は社会人になって強く自分に響いた言葉を以て仕事に関する思考を整理したい。まずは下記紹介。

 

 

これだ。僕が頭を鈍器で殴られたような衝撃を飲み会で受けた上司の言葉。

 

他人の評価 = 自分

 

仕事をするなら、自分の中ではどう思っていようが、他人の評価と自分の評価が違っていようが、まして正反対であろうが、関係ない。仕事では他人が白だと言った物が白になる。例え自分が「あれは黒だ!どうしてみんな分かってくれないのだ」と叫びたてても「事実」は変わらない。これは決して他の皆が白と言っているのだから同調して「ウン、あれは白ですね」と意見を合わせろということではない。自分、及び自分が出したアウトプットへの評価は他人が決める、という至極当たり前のことを言っているのだ。

 

日本企業がよく揶揄されるあれだ。「こんなに良いモノを作っているのに値段が高いと言われて売れない。なぜ中国に負けるのだ。なぜだ、なぜだ…。」自己評価と他己評価が異なることの典型例だ。相手が求めているものが、売れる。クオリティが高かろうが何だろうが、求められていないものは売れない。これこそが市場経済の根幹だからだ。

 

徹夜して作ってきた資料を前に、上司や先輩が「なにお前、頑張ったから褒めてほしいみたいな顔してんの?お前が頑張ったとかいう主張はいらないから止めて。」と説教される、というストーリーを、よく新入社員や若手社員などに向けた本(得てしてコンサル業界だったりする)で見るが本当にそうだと思う。自分の中では手を尽くして努力していても、他人から見て間違った方向に力を割いていたり、最終的なアウトプットのレベルが低いとそれすなわち努力の結果(=その人の評価)となってしまう。※1

 

テーマは「仕事ができる」についてなので所謂社内評価、という視点で上記の考えを転じると、言うなれば仕事場の同僚も顧客なのだ。対社外という基準で見ればもちろんチームの一員だし、一緒に協力すべき仲間だが、一度そうしたフレームワークを外して見るべきだ。「自分 vs 自分以外」という軸で見れば、"自分以外"は全て顧客に等しい。ましてや社内の上司や先輩など、彼らの評価を以て僕の給料が決まるのだ。成果(=評価)を以て信頼を得て、報酬(=給料)が決まる。※2

 

これ、大企業に入ったらなおさらである。他部署なんかほぼ関わらないし、彼らの売上なんぞ知ったこっちゃない。何かのきっかけで打合せをすることになった場合、時に名刺を渡す時すらある。これはもう他人以外の何物でもなく、彼らと協力して何かを成し遂げなければならないなら、彼らから信頼を得ておく必要が出てくる。これすなわち「やることやって、出来る限り期待を超えるアウトプットを出す」以外に無いのだ。

 

これに気づいてから僕はようやく社内に対してもきっちりと「やることをやる」ようになった。おっそい気づきだが、なかなかどうして僕の意識の低さでは最初から全力を尽くして仕事に打ち込むことはできなかったようであるw

 

今後は「やるべきことをきっちりこなす」だけでなく(これではプラマイゼロ)、「自分なりの意見なり工夫なり、プラスアルファを意識して価値を出す」ことを意識したい。これをきちんと実行に移して成果を上げるというのは僕にとってかなりハードルの高いことだ、なんせ中の中レベルですしw 分かったと出来たは天と地ほどに差がある、とは言ったものだが、そもそも一段階目の分かったができていなかったわけで、今後の路線をはっきりさせて、自身の価値を高めて行きたいと思う。

 

 

※1

一応付け加えると、上記に挙げた「成果=評価、努力≠評価」というのは当然なのだが、一方で仕事ができる人にとって努力するというのは当然のことであって、これが出来ない奴は評価が地に落ちることになる。言うなれば努力はセンター試験みたいな足切り要因であり、ここで足切りラインを越えてこそ、二次試験(成果による評価)を受けられるものと思う。

 

※2

ただ一つだけ言いたいのは社内を向いた仕事姿勢になってはいけないとは常々思っている。社内報告が上手いとか人付き合いが良い、などで出世する人は一定数いるしそこも尊敬するべきポイントだとは思っているが、僕自身の志向としては、究極には社外向けに成果を残すべきだと考える。「売れる・儲かる」ことが正義なのであって、「既に売れている仕組みを回す」ことに終始してはいけないし、したくない。

仕事ができる・できないとは何なのか② #5

キュウです!

 

最近焼鳥にハマっている。(たまたまだけど)先週は月曜日から金曜日だけで3回も焼鳥屋に行ってしまった。ランチでも唐揚げ定食が2回w 病気かと思うレベルだw

 

焼鳥って最近よく聞くなあと思っていたら、どうやらここ数年で「焼鳥ブーム」なるものが来ているのだそうだ。本当か嘘かは知らんけど。なぜか?と書いてある記事は少ないから「結局流行は業界の差し金や!」とかいろいろ想像したのだけど、それっぽく書いてあった記事を見つけたので備忘までに載せておく。曰く焼鳥は「寿司の代わり」だそうな。まあ確かに「安く」「美味い」「肉」が食べられるのは豚か鶏かだと思う。韓国料理なんかはとっくの昔に人気だし、次は鶏!と来るのは自然な流れだったのかもしれない。(あるいはこの論理の流れが若干強引か、どっちか…w)

www.moshimoshi-nippon.jp


 

さてーーーーー。

 

前回の記事で僕は仕事ができる・できないの概念をレベルで表現し、「上・中・下」に分けてみることを試みた。僕は下の中→中の中にレベルを上げたところだ、という内容で自分の現在地を把握し、記事を切り上げた。

 

なお、前回のラストでも言ったのだが個人的な意見として仕事ができる人にこのような考え方は必要無い。それは下記2点の理由からだ。

  • 自分の現在地を把握して次のステージを具体的にイメージし、実現に向けて努力する、という王道のステップを歩むことに慣れているため自然とこの思考が出来ている場合が多い(現在地、というのは置いとくとしても少なくとも次のステージは見据えている)。
  • そもそも仕事ができるのでこんな思考をする必要が無い。

 

今回言語化したいと思ったのはこの「現在地」ともう一つ重要となってくる要素についてである。

※前回の記事で ″仕事の「状態」を決める要素は2つしかない” とか言っておいて一つ目の現在地(上中下)の把握で話を済ませてしまい申し訳ないです。

 

二つ目は僕が言った、どのレベルからスタートしてどのレベルにいるのか、という要素だ。これはつまりベクトルの話になる。ベクトルは矢印で表されることは高校の数学で学んだが、矢印は始点と終点を規定することで規定できる。

「ベクトル」の画像検索結果

 

どういう事かと言うと、仕事の「状態」を決めるのは今自分がいる位置だけでなく、どのように動いてきたか(動いてこなかったか)というのも非常に重要だということだ。例えば僕がいま中の中にいるとしよう。これだけではどういう状態なのかが分からないのである。僕が自ら「下の下から中の中に上がってきたところです」と自己申告することによって、なるほど彼は実力を上げてきたのだな、とか勢いがありそうだ、という外部の判断が付いてくる。

 

逆に新入社員の頃から上の下ぐらいのレベルで頑張っていた人がスランプやなんかで調子を落とし中の中に落ちてきたとしよう。少なくとも若手の転職市場では、ポテンシャルありとして前者の方が評価されるのではないだろうか?(決して自分のことを持ち上げたい訳ではないw)

 

ところで最近、某保険会社から某広告会社に転職した友人に話を聞く機会があった。その友人は保険会社で相当程度の成績を残して、そこそこの出世ルートを示唆されながら辞めてきたそうだ。その友人が言うに、僕の言うベクトル&現在地という考えはある程度分かる、と。

 

曰く、自分は仕事が出来た。この場合は個人としての成績をかなり挙げる事が出来た。普通ならばこれが楽しいのかもしれない、ただし、自分は最初から営業成績が良かったのだと。即ち、ポジションは最初から「上」にいた。自分の中でそれ以上の成長は特に無く、今後に対して楽しみだと感じることが少ないのと共に、周囲がジワジワと成長してきて自分のポジションを侵しに来るのを感じて、早めに市場を変えようと思ったのだと語っていた。

 

もちろんこの考えに対して、継続が重要だろとか、上の上まで突き詰めれば別の世界が見えるだろとか、言う視点も考えられるし、どう思うのも自由だ、が、自分は別の道を選んだ。興味があるのはこっちの世界だったし人をカネとしか見ていない上司や同僚に辟易とすることも無い、何よりも今自分が充実し、わくわくしていることが重要なのだ、と。

 

僕はこのポジティブな意味での転職(の決断)には心底感激した。

 

というわけで、論理の補強とか言うつもりもないが、現在地が「上」で他人と比べて「良い」ポジションにいても、それが必ずしも良いわけではない、という点を心に刻みたいと思う。

 

仕事ができる・できないとは何なのか① #4

キュウです!

 

ソフトバンクが先日、CSで優勝した。野球は見るのは好きだが、選手の名前やポジション等にあまり興味が無いので、ただただボーっとして選手たちのハイパフォーマンスを眺めることになる。やっぱ外人はバットの振りが早え!とか今の守備はとんでもなくレベルが高いぞ…とか、何だか地味なところに目が行ってしまうのだ。

 

小学生の頃は巨人ファンの同級生に触発されて毎日のように巨人戦を見ていたし、父に連れられて東京ドームに観戦に行ったものだった。ある日急に興味をなくしたのがなぜかというと、よく覚えてはいないがたぶん単純に「飽きた」のだろう。子供の頃は興味を持つととことん研究をして、そして飽きると視界から消し去る、という見事なまでの偏向性を発揮していた。あんなに好きだったのに、今でも覚えていることと言えばたった1試合。セ・リーグの優勝を懸けた中日ドラゴンズ戦、0-4で迎えた9回裏で江藤の満塁HR一発で同点、直後に二岡のサヨナラソロHRという劇的な流れで幕が落とされた。巨人の優勝だ。

www.youtube.com

 

家のテレビの前で歓喜する僕を見て、両親が僕を胴上げしてくれたのを今でも覚えている。

 

 

さてーーーーー。

 

突然だが僕は仕事ができない。いや、正確に言うとできなかった。

 

つい1年ちょい前まではなぜかうまく仕事が回らず、一日に終わるべきタスクも終わらずに放っぽって合コンに行っていた。小学校・中学校・高校・大学と、少々の挫折はあったもののどうにか切り抜けて、基本は優秀なタイプとして生きてきたはずなのに、おかしいのだ。そう。僕は悪くない。今は調子が悪いだけだ、そうに違いないーーーー。

 

こうなるとモチベーションも上がらないし、当然周囲の評価も低い。モチベーションが低いから自分が言われたことだけやって、プラスアルファのことは何もやらない。仕事って自分に回ってきた仕事に1ミリでも価値を載せて次の人に回さなければ次から回って来なくなるんだよ、ということも知らずに。当然、簡単な、誰でもできる仕事ばかり回ってくるようになる(まだ若手だから、ということで総スカンを食らうことは無い。優しい世界!)。モチベーションは上がらないながらも信頼を集められていないということは肌で感じるため、自分の中の自信はいつまでもたっても積み上がらない。

 

ここからどうにか、僕は負のスパイラルを抜けることができた。なんでだろう?というのを考えたいわけだ。ここから、論理の樹形図が広がって行くことになる。

負のスパイラルを抜けることができた

→YESならば、その理由は?単なる慣れ?それとも何かが自分の中で変わった?変わったとしたらそれは他の人にも応用可能か?それとも偶然運が良くて何か変化が起きただけ?

→NOならば、今はできるようになった、という思い込みに嵌っているだけなのか?今はどこにいるの?普通レベル?できるレベル?

という具合に。

 

これを分析するにはある程度の考え方の前提というか、フレームワークが必要になるかもしれない。というのも、何となく自分の主観や感想を長ったらしい文章で考えているだけでは他の人から見たら何を言いたいのか分からないと思うからだ。まあこの文章自体何が言いたいか分からないかもしれないが、下記を見て欲しい。

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汚い字と若干入り込んだ指が恐縮だが、僕が今回お話ししたい前提を理解してもらいたいので書いてみた。そもそも仕事の出来なんか明確にレベル分けできないのだろうけど、あえて一つの指標or何らかの評価方法で「できる/できない」人が一直線に並ぶものとする。それを上/中/下という至極単純な区分けで考えるものとしようか。

 

僕が今回取り上げたいのは所謂「下」の状態のこと。

 

僕が考えるに、仕事の「状態」を決める要素は2つしかない。その一つがこのポジショニングだ。

 

この「できない」人の中にも区分けは存在していて、①本当にどうしようもなくて完全に邪魔者扱い(下の下)、②普通にできない、周囲に迷惑をかけている(下の中)、③できないんだけど見捨てられはしない程度、もうちょい頑張れ(下の上)の3パターンある。

 

①は当然このブログでは取り上げない。転職でもした方が良い。できるか分からんけど。まあ、②も一旦脇に置くものとする。大体きちんとした人間であれば、相当の問題が起こっていない限りは③のレベルでどうにか留まれるものだと思う。(僕は③の状態でモチベ―ションを下げていたので②の状態だったのだけれどw)

 

さて現状でどこに僕がいるのか?という問題がある。たぶん中の下か中の中ぐらいなのではないかな、と前向きな想像をしているのだけど、実際は分からない。流石に下の下!とは思われていないだろうが、中の上!という評価にはまだ遠い。

 

果たして、僕のQOL向上とは下から中へ、中から上へ、というこのプロセスこそが鍵なのだ!と気づいた時から、僕の中での機運は高まり始めた。以上がポジショニングの話。

 

仕事ができない人も、自分に自信が無い人も、自分がどこにいるかを把握するだけでも気分は違ってくるものと思う。一つの図を作って自分という点をその中に配置することによってそれこそある意味客観的に(他者の視点のような感覚で)見れるようになるからだ。このブログを読んで下さっている方の大半は何言ってんだコイツ?という感覚だと思うのだが、仕事ができない奴というのは自分がどこにいるのかさえきっちりと分かっていない(から、こうして自分のレベル区分を認識するとハッとする)のである。1年前の僕w 本当にお粗末の一言である。

 

(ねむいので次回に続く)