ぼくのQOL向上戦争

ぼくはぼくのために生きる。

"ぼくはぼくのために生きる"の起源

キュウです!

 

今日はずっと迷ってたものをネット上に吐き出してみようと思う。

 

このブログのサブタイトル(?)は "ぼくはぼくのために生きる" なわけだが、この言葉を思いついた時に書きだしていたクソ寒くてクソダサいポエムが突如僕のスマホの中で死体で発見された。

 

恥ずかしいがもう時効だと思って記念に公開しておこうと思う。

 

なんだか読んでいてくすぐったくなるし自分でもキモイと思わされる文章だが、まあアカウントを始めた初期なんかそんなもんだよね、ということで成仏してもらおうという考えに至った次第。

 

=======【以下閲覧注意】=======

 

性分、という言葉がある。


教育や周囲の影響など、後天的に外部環境からの刺激を受けて体得するものではなく、元々その人が持ち合わせている性格のようなものだ。時折、自分の性分について考えることがある。


なぜ自分はあの人と、みんなと違うのか。あの場合に頭をよぎったあの考えは「異端」なのだろうか。みんなと違うことは僕を不安にさせる。やはり人間は周囲と違うことをすることに根本的に不安を感じる生き物らしい。程度の違いはあれど。


自分はみんなと違うのかな。なぜあんなことを考えたのだろう。なぜあの時にあんな行動をしたのだろう。瞬間的に判断をしたあのプレーは正解だったのだろうか。エースのあの人が僕の立場だったなら?


この感情は何だろう?この不安は何だろう?自分は「おかしい」のだろうか。ふざけんなよ、と言われた。ふざけているのだろうか。彼にとって馬鹿馬鹿しく見えた僕の発言は、そんなに変なのだろうか。他の人も同じことを言うのか…?


ひょっとしたら僕だけなのかもしれない、こんなことを考えて行動しているのは。僕の性格がおかしいだけなのかもしれないな。でもこれはきっと、僕の「性分」なのだ。


自分はきっと今いる道からそれほど外れずに生きていくはずだ。それを決めるのは僕自身、辞めるのも僕自身、方向転換しようと思うのも僕自身。その時の判断を支えたり邪魔するのはきっと周りの人の意見や、様々な制約なのだろう。


でも、きっと。僕がその判断を最終的に下す時に寄り添う価値観というのは、直感的な部分なのだろうな。好きとか嫌いとか、心地良いとか悪いとか、美味しいとか不味いとか、そんな直感的な部分、性分なんだ。


他人の判断や指示に基づいて行動をする、それも納得もしていないことに。そんなことは今後一切無くしていきたい。相手に説得されようが、説得されて良し、と自分の中で判断を下すのは自分。わがままを渋々聞き入れると決めるのも自分。ムカつくけど許してやろう、と思うのも自分なんだ。一緒に思えるけど、ここだけは絶対に違うんだ。


これが僕の性分。他人に何と言われようが妥協できない、心の奥底にある価値観。自分の人生は自分で決める。何かあったら全部自己責任。

 

ぼくはぼくのために生きる。