ぼくのQOL向上戦争

ぼくはぼくのために生きる。

仕事ができる・できないとは何なのか③ #6

キュウです!

 

先日(と言っても3週間ほど前になるが)会社の同期の結婚式があった。ほんと、この時期はみんな結婚する。季節的に人気なのだそうだ。調べてみると結婚式の件数が増えるのは5,6月と10,11月だそうで、理由は簡単、「暑くないし寒くないから」である。5月は連休があるから参加してもらいやすい&予定がたてやすいし、6月は「June Bride」という言葉もある通り皆が式を挙げたい季節。10月と11月は季節的にも良く、天気も良くて「晴れ舞台」に適しているのかもしれない。ちなみにその日は相当良い天気だった。最高のコンディションで結婚式ができた同期を心から祝福したい。

 

そういえばけっこう面白いことがあった。

 

僕の会社は伝統的にはっちゃけた芸が好きで、結婚式場からクレームが来ることが過去にはあったそうなのだけど、今回は結婚式場に許されるギリギリのラインを攻めてほしいと新郎からリクエストがあった。僕たちは迷った末にどうにかごまかせるレベルの芸を選択、これ以上は2次会でやるからお許しを、という言い訳のもとに「そこそこ攻めた」余興を実施した。もちろん会場の人が不快にならない、かつ式場のスタッフの方々にも迷惑をかけない、そんなレベルだ。

 

こう言うと全然攻めてないやん、と言われそうなのだが僕たちは内心、ドキドキであった。当然だが自社の上司がたくさんいる。お歳を召したご老人もいらっしゃる。新郎の大学の同期や新婦のご友人まで、知らない人もたくさんいる。そして何より新婦はかなりのおとなしめであった。ドン引きされるのは全く気にもしないが泣かれたり通報されたりしたらどうしよう…。まあ結果から言うと大成功で大盛り上がりだったのだが、僕たちは余興をした経験がほとんど無かったのだ。なんせ社会人になって数年の若造たちである。緊張して気分が悪くなる奴がいるのも理解できる状況であった。

 

芸の詳細は割愛するが、かくして会場は盛況となり、来場者全体を温めることができた。何が面白かったかって、下記のツイートを見てほしい。

 

 

まあ、新郎が嬉し泣きしてくれたことで全てシャンシャン、である。けっこう頑張って良かったと思っている。

 

 

さてーーーーー。

 

「仕事ができる・できない」について①②でしょうもない自論を展開してみた。後で見直してみたら何でもないことをそれっぽく言って「俺頭いい」とか思ってそうな感じで非常に恥ずかしい。。が、これが自分のアウトプット力と、思考の深さの限界の現状である、ということは自分で認識をすることとなった。まずはそれが重要なのだ、と言い聞かせながら引き続き頑張る。継続こそが重要なのだから。

 

今回は社会人になって強く自分に響いた言葉を以て仕事に関する思考を整理したい。まずは下記紹介。

 

 

これだ。僕が頭を鈍器で殴られたような衝撃を飲み会で受けた上司の言葉。

 

他人の評価 = 自分

 

仕事をするなら、自分の中ではどう思っていようが、他人の評価と自分の評価が違っていようが、まして正反対であろうが、関係ない。仕事では他人が白だと言った物が白になる。例え自分が「あれは黒だ!どうしてみんな分かってくれないのだ」と叫びたてても「事実」は変わらない。これは決して他の皆が白と言っているのだから同調して「ウン、あれは白ですね」と意見を合わせろということではない。自分、及び自分が出したアウトプットへの評価は他人が決める、という至極当たり前のことを言っているのだ。

 

日本企業がよく揶揄されるあれだ。「こんなに良いモノを作っているのに値段が高いと言われて売れない。なぜ中国に負けるのだ。なぜだ、なぜだ…。」自己評価と他己評価が異なることの典型例だ。相手が求めているものが、売れる。クオリティが高かろうが何だろうが、求められていないものは売れない。これこそが市場経済の根幹だからだ。

 

徹夜して作ってきた資料を前に、上司や先輩が「なにお前、頑張ったから褒めてほしいみたいな顔してんの?お前が頑張ったとかいう主張はいらないから止めて。」と説教される、というストーリーを、よく新入社員や若手社員などに向けた本(得てしてコンサル業界だったりする)で見るが本当にそうだと思う。自分の中では手を尽くして努力していても、他人から見て間違った方向に力を割いていたり、最終的なアウトプットのレベルが低いとそれすなわち努力の結果(=その人の評価)となってしまう。※1

 

テーマは「仕事ができる」についてなので所謂社内評価、という視点で上記の考えを転じると、言うなれば仕事場の同僚も顧客なのだ。対社外という基準で見ればもちろんチームの一員だし、一緒に協力すべき仲間だが、一度そうしたフレームワークを外して見るべきだ。「自分 vs 自分以外」という軸で見れば、"自分以外"は全て顧客に等しい。ましてや社内の上司や先輩など、彼らの評価を以て僕の給料が決まるのだ。成果(=評価)を以て信頼を得て、報酬(=給料)が決まる。※2

 

これ、大企業に入ったらなおさらである。他部署なんかほぼ関わらないし、彼らの売上なんぞ知ったこっちゃない。何かのきっかけで打合せをすることになった場合、時に名刺を渡す時すらある。これはもう他人以外の何物でもなく、彼らと協力して何かを成し遂げなければならないなら、彼らから信頼を得ておく必要が出てくる。これすなわち「やることやって、出来る限り期待を超えるアウトプットを出す」以外に無いのだ。

 

これに気づいてから僕はようやく社内に対してもきっちりと「やることをやる」ようになった。おっそい気づきだが、なかなかどうして僕の意識の低さでは最初から全力を尽くして仕事に打ち込むことはできなかったようであるw

 

今後は「やるべきことをきっちりこなす」だけでなく(これではプラマイゼロ)、「自分なりの意見なり工夫なり、プラスアルファを意識して価値を出す」ことを意識したい。これをきちんと実行に移して成果を上げるというのは僕にとってかなりハードルの高いことだ、なんせ中の中レベルですしw 分かったと出来たは天と地ほどに差がある、とは言ったものだが、そもそも一段階目の分かったができていなかったわけで、今後の路線をはっきりさせて、自身の価値を高めて行きたいと思う。

 

 

※1

一応付け加えると、上記に挙げた「成果=評価、努力≠評価」というのは当然なのだが、一方で仕事ができる人にとって努力するというのは当然のことであって、これが出来ない奴は評価が地に落ちることになる。言うなれば努力はセンター試験みたいな足切り要因であり、ここで足切りラインを越えてこそ、二次試験(成果による評価)を受けられるものと思う。

 

※2

ただ一つだけ言いたいのは社内を向いた仕事姿勢になってはいけないとは常々思っている。社内報告が上手いとか人付き合いが良い、などで出世する人は一定数いるしそこも尊敬するべきポイントだとは思っているが、僕自身の志向としては、究極には社外向けに成果を残すべきだと考える。「売れる・儲かる」ことが正義なのであって、「既に売れている仕組みを回す」ことに終始してはいけないし、したくない。