ぼくのQOL向上戦争

ぼくはぼくのために生きる。

思考のアウトプット習慣を大切にしたい、という話 #3

キュウです!

 

いま家でプレモルを飲みながらこの記事を書いている。本当にビールは美味しい。最近ビールの美味しさが自分の中で見直されており、なぜ数千年も(一説によると6千年も???)の間愛されているのかがようやく分かってきたところである。

ビール - Wikipedia

 

ハッキリ言って僕は学生時代はビールが嫌いであった。学生の飲み会なんてただ飲んではトイレに駆け込むの繰り返しで、ビールは苦行の象徴だったからだ。何かの食べ物と一緒に美味しく飲む、なんてのは自分にはあり得ない概念であった。。僕がお酒が美味しい!と思い始めたのは例によって2ちゃんねるを見ていて、日本酒の飲み方を紹介するスレを見た時からだ。このスレだけをもってにわか知識を取得、内定後の調子乗っている時期に合コンした女の子をデートに誘っては得意げに語っていたものだ。

world-fusigi.net

 

ところで当時を思い出すとびっくりするほど腹はへこみ、顎のラインもすっきり、肌の悩みなんぞ皆無で、運動をしても思い通りに身体が動かせた。何と言っても黄金時代、である。が、僕は今を第2の黄金時代にするべく頑張っているところである…。(であれば酒なんぞ飲まずにプロテイン飲めよ、という話だがw)

 

 

さてーーーーー。

 

本題の通り自分の思いを語りたいと思う。

 

働き始めてからというもの僕は自分がどれだけ思考を深められるか、ということをテーマにしており、前の記事でも言ったがどれだけ普段のアウトプットをきっちりしてゆくか、ということが一つの解になり得るという仮説のもとこのブログを始めた。

kyuu0119r.hatenablog.com

 

それで、まあ前回も言ったことだが、ブログを始めてからは普段から考えていることについて「あ、これ記事にできるかな」とか「うまく言葉にして言語化したいな」と思うようになってきた。それ自体が良いことかと言うと明確には分からないのだが、少なくとも①自分の中で見落とされがちだった感情や思考が(言語化を試みることによって)ハッキリしてくる、②アウトプットをしようとすると(適当なことを言えないし補足的なことを言えたらかっこいいので)ちょっとしたことを調べたり人に聞いたりするようになる、③単に自分にとって新鮮(=モチベーションが湧く)、というメリットを現状感じている。

 

今回は①を強調したいと思う。まあ②や③は付属品やし。これ、すごいよ。素直に感動した、というか自分がどれだけ自分の中の思考を見逃したり忘れたりしていたのか、ということに気づく。イメージで言うとニコニコ動画で言葉が右から左に流れていて、自分は無意識にこの言葉達を見ているけども、わざわざ自分の意識の中で取り上げようとしない、といった感じだろうか。知らない人のために下に貼っておく。ちなみに1:16:22から始まる「砕月」は僕がコメントでまらしぃにリクエストして弾いてもらったものなので、ぜひ聞いてほしいw

www.youtube.com

 

これをなぜ言いたいかというと、僕の周りで「なぜ自分が〇〇と思っているのか」を理解できていない人が多いように感じるからである。逆に言えば僕はこうしてアウトプットをきっちりとするようになってから、自分の感情・他人の感情を正しく把握することに努めるようになった。

 

 どのような例を思い浮かべているかは下の僕のツイートを見て欲しい。

 

 全員が全員そうだとは1ミリも思わないし、上の方が絶対にそうだと言い切るわけではないが、なぜ上記のようなことを考えたのかはご理解頂けるものと思う。

 

もちろんこれはあくまで一例で、例えば上司が部下を怒る時などは顕著な傾向が見られる。仮に部下を僕としよう。僕が仕事をこなす時に「このプロセスは無駄だ」と思うことは数多く存在し、得てして上司はそのプロセスを守らせようとする。もちろん僕が若手だからというのも大いにあり、上の人が同じプロセスを踏まなくても全く問題無い。

 

このような時に僕がつい「無駄じゃないっすか」等とそれこそ無駄な口を叩こうものなら一気果敢に攻勢をとり、まるでお前は使えない社員だ、とばかりに攻め(責め)立ててくる。そしてこの場合たいてい、「オマエのやり方では〇〇さんに迷惑が」とか言い出し、上手い理由付け(というか大義名分)を掲げて反論してくるのである。

 

このような姿勢はまさに、自分の「イラつき(部下がいちいちオレのやり方に反論してくる!ウゼエ!)」を「大義名分(〇〇さんに迷惑かかるだろ!)」という理由付けに変えて強引に部下を従わせるような行為である。僕が「〇〇さんには別途連絡済みです」と言えども「あっそう、だから何?」とばかりに無視を決め込む。

 

じゃあ〇〇さんのためのプロセスちゃうやんwというツッコミが余裕で入れられるのだが、上司は驚いたことにこれには気づいていないのだ。なぜなら自分の気持ちに嘘をつくことに慣れきってしまって、このような矛盾に常に蓋をしているからである。

 

もうね、このような人間が本当に多いのである。別に自分だけは分かっているとか上から言い放つつもりも無いが、僕はどうしてもこのような人間の言動が気になって、気になって仕方ない。どうして自分に嘘がつけるのかと言うと、自分が幼稚なイラつきを(それも理由が自分のプライドだとかそんな下らないものから生じたイラつきを)感じているということを自分の中でも認めたくない訳である。人間は自分の思考に一貫性を持ちたがり、しかもそれが高尚な思考プロセスのもとに生み出されたものであると思いたがる傾向にあるのだというのが僕の仮説だ。

 

ちなみにこの考えが正しいのだとすると、真正面から相手を否定することは賢い選択ではない。否定された相手は自身の奥底にある「恥ずかしい」感情を見られたということで、けたたましい警報のもとに心をシャットアウトしてしまう。一種の逃避行動だ。まあ、一度は相手に従ってみて、その後順を追って改善を繰り返してゆくという方法を採ることをお勧めする。(これは自分自身への自戒が99%だが。。。)

 

さて一貫性も無くつらつらと綴ってきたが(というか最後は職場での文句みたいになったがw)そろそろ終わりにしたい。

 

最後に言いたいことをまとめると

・アウトプットを今後も大事にしたい

・その中でも「言語化」による客観性(≒他者視点)の獲得を特に強調したい

・こうして文字に起こすことで備忘とし、常に意識したい

 

今回は以上!