ぼくのQOL向上戦争

ぼくはぼくのために生きる。

仕事ができる・できないとは何なのか② #5

キュウです!

 

最近焼鳥にハマっている。(たまたまだけど)先週は月曜日から金曜日だけで3回も焼鳥屋に行ってしまった。ランチでも唐揚げ定食が2回w 病気かと思うレベルだw

 

焼鳥って最近よく聞くなあと思っていたら、どうやらここ数年で「焼鳥ブーム」なるものが来ているのだそうだ。本当か嘘かは知らんけど。なぜか?と書いてある記事は少ないから「結局流行は業界の差し金や!」とかいろいろ想像したのだけど、それっぽく書いてあった記事を見つけたので備忘までに載せておく。曰く焼鳥は「寿司の代わり」だそうな。まあ確かに「安く」「美味い」「肉」が食べられるのは豚か鶏かだと思う。韓国料理なんかはとっくの昔に人気だし、次は鶏!と来るのは自然な流れだったのかもしれない。(あるいはこの論理の流れが若干強引か、どっちか…w)

www.moshimoshi-nippon.jp


 

さてーーーーー。

 

前回の記事で僕は仕事ができる・できないの概念をレベルで表現し、「上・中・下」に分けてみることを試みた。僕は下の中→中の中にレベルを上げたところだ、という内容で自分の現在地を把握し、記事を切り上げた。

 

なお、前回のラストでも言ったのだが個人的な意見として仕事ができる人にこのような考え方は必要無い。それは下記2点の理由からだ。

  • 自分の現在地を把握して次のステージを具体的にイメージし、実現に向けて努力する、という王道のステップを歩むことに慣れているため自然とこの思考が出来ている場合が多い(現在地、というのは置いとくとしても少なくとも次のステージは見据えている)。
  • そもそも仕事ができるのでこんな思考をする必要が無い。

 

今回言語化したいと思ったのはこの「現在地」ともう一つ重要となってくる要素についてである。

※前回の記事で ″仕事の「状態」を決める要素は2つしかない” とか言っておいて一つ目の現在地(上中下)の把握で話を済ませてしまい申し訳ないです。

 

二つ目は僕が言った、どのレベルからスタートしてどのレベルにいるのか、という要素だ。これはつまりベクトルの話になる。ベクトルは矢印で表されることは高校の数学で学んだが、矢印は始点と終点を規定することで規定できる。

「ベクトル」の画像検索結果

 

どういう事かと言うと、仕事の「状態」を決めるのは今自分がいる位置だけでなく、どのように動いてきたか(動いてこなかったか)というのも非常に重要だということだ。例えば僕がいま中の中にいるとしよう。これだけではどういう状態なのかが分からないのである。僕が自ら「下の下から中の中に上がってきたところです」と自己申告することによって、なるほど彼は実力を上げてきたのだな、とか勢いがありそうだ、という外部の判断が付いてくる。

 

逆に新入社員の頃から上の下ぐらいのレベルで頑張っていた人がスランプやなんかで調子を落とし中の中に落ちてきたとしよう。少なくとも若手の転職市場では、ポテンシャルありとして前者の方が評価されるのではないだろうか?(決して自分のことを持ち上げたい訳ではないw)

 

ところで最近、某保険会社から某広告会社に転職した友人に話を聞く機会があった。その友人は保険会社で相当程度の成績を残して、そこそこの出世ルートを示唆されながら辞めてきたそうだ。その友人が言うに、僕の言うベクトル&現在地という考えはある程度分かる、と。

 

曰く、自分は仕事が出来た。この場合は個人としての成績をかなり挙げる事が出来た。普通ならばこれが楽しいのかもしれない、ただし、自分は最初から営業成績が良かったのだと。即ち、ポジションは最初から「上」にいた。自分の中でそれ以上の成長は特に無く、今後に対して楽しみだと感じることが少ないのと共に、周囲がジワジワと成長してきて自分のポジションを侵しに来るのを感じて、早めに市場を変えようと思ったのだと語っていた。

 

もちろんこの考えに対して、継続が重要だろとか、上の上まで突き詰めれば別の世界が見えるだろとか、言う視点も考えられるし、どう思うのも自由だ、が、自分は別の道を選んだ。興味があるのはこっちの世界だったし人をカネとしか見ていない上司や同僚に辟易とすることも無い、何よりも今自分が充実し、わくわくしていることが重要なのだ、と。

 

僕はこのポジティブな意味での転職(の決断)には心底感激した。

 

というわけで、論理の補強とか言うつもりもないが、現在地が「上」で他人と比べて「良い」ポジションにいても、それが必ずしも良いわけではない、という点を心に刻みたいと思う。